JR・神戸電鉄三田駅(北神急行線の市営化で片道で三宮から三田まで810円で行けるようになりました‼)から一番近い、
神戸市北区・三田市との境の霊園、バラの花咲く公園墓地。神戸・宝塚・尼崎・大阪から便利。


三田の歴史


屋敷町の旧九鬼家住宅資料館




光明寺墓地公園の最寄り駅はJRの三田駅で、車で5分ほど。地図上の直線距離では、南東へ3キロほどしか離れていません。

三田市といえば一時期、人口増加率が全国一と言われたほど新興住宅の多いところですが、郊外にはまだ田畑が広がり自然環境ゆたかな田園都市です。京阪神の都会から見たらまだ農村地帯というイメージがあるようですが、かつては城下町・宿場町としても栄えた時代もありました。でも今は、三田駅から1キロほど北にある県立有馬高校や三田小学校のあたりに「三田城」の遺跡がわずかに残っているだけです。有馬高校正門前に残る「堀割」がわずかに面影を偲ばせています。 また、ゆるやかな坂道を登りきった丘陵からは周囲の風景が一望に見渡せることから、かつて城があったことが地形的にも納得できます。


町並みは、駅周辺の開発により城下町らしい雰囲気はほとんど感じられませんが、車がすれ違うこともできないほどの細い道を歩いてみると、何となくそれらしい面影を漂わせています。そこは屋敷町という地名が語るように、お城を守るように武家屋敷が立ち並んでいたところです。



城跡からゆるい坂道を下った屋敷町に、旧九鬼家住宅資料館があります。この資料館は、三田藩家老職を代々勤めた九鬼家の住宅です。明治8年前後に建てられた全国でも数少ない“擬洋風建築”で、修復保存されて資料館として無料開放されています。洋風と和風が混在した建物ということですが、洋風が一般化した現代からすると、屋内は古い和風建築そのもので、2階のテラス以外はどこが洋風なのだろうといった印象を受けます。当時は2000坪の敷地にあり、立派な庭園もあったようですが、いまは狭い庭を高い塀が囲っています。同じ敷地内のすぐ隣は「歴史資料収蔵センター」で、歴史愛好家の地元ボランティアの方たちが、資料館のことも合わせて親切に説明してくれます。



三田市はいま歴史保存の町づくりに熱心らしく、九鬼家をはじめ三田が生んだ歴史的人物についての概要を説明した無料のチラシやパンフなどを資料館に置いてあり、街角には説明の立て札(プレート)を建てたりしています。最近、小説や映画でも有名になった白州次郎の父親(退蔵)の生誕地であることを知りました。