JR三田駅から一番近い、神戸市北区の霊園、バラの花咲く公園墓地。西宮・宝塚・尼崎・伊丹から便利。


三田藩士 白州退蔵(しらすたいぞう)

三田藩藩士だった白州退蔵(1829-1891)は、藩校造士館の教授をつとめ藩の財政再建につくし、維新のときは藩を討幕で統一しました。維新後は銀行家となり、横浜正金銀行頭取にもなっています。



退蔵の息子・文平(1869-1935)は、ハーバード大学やドイツのボン大学に留学し、帰国後は三井銀行や大阪紡績会社に勤めましたが、やがて独立し綿貿易で巨万の富を築き、芦屋に美術館まである豪邸を建てています。強烈な個性を発揮して昭和のサムライとも称せられた白州次郎は、まさに父親と祖父の豪放さや英知といった遺伝子を受けいだのでしょう。


1902年、芦屋で生まれた白州次郎は、旧制第一神戸中学校(のち兵庫県立神戸高等学校)を卒業後にケンブリッジ大学に留学。戦後は、ワンマン宰相・吉田茂の側近として得意な英語でGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)と渡り合い、「従順ならざる唯一の日本人」などと言われた硬骨漢だったようです。連絡中央事務局次長、経済安定本部次長、貿易庁長官などを歴任し、のちに父と同様、実業家に転じて東北電力会長など多くの企業役員を歴任しました。

       白州次郎と妻・正子の墓

城跡から近い屋敷町に「白州退蔵出生地」の立て札が建っていますが、「白州家や次郎と妻・正子の墓所が九鬼家の菩提寺の心月院にあります」とボランティアの方が教えてくれました。
心月院