JR三田駅から一番近い、神戸市北区の霊園、バラの花咲く公園墓地。西宮・宝塚・尼崎・伊丹から便利。


生野という地名の由来


太古の昔は湖だった


道場は、かつて道場村と言われていましたからその地名の範囲は広く、先に見たように太福寺・鏑居寺・光明寺の3カ寺はこの地名内にあります。
 古い地名のなかには神話や歴史の一端がみえてきますが、時代とともに変わっていく地名もあり、その変遷からも時代の変化が読まれたりもします。




「道場生野」という光明寺の地名のなかの「生野」は、塩生庄(しおいくのしょう)と呼ばれていた時代もありました。
 鳥羽上皇(1103~56)のころ、道場のなかには塩田庄と塩生庄という二つの庄園があり、女房美濃局の庄園となっていましたが、美濃局から石清水八幡宮に寄進されています。しかし応仁の乱以降はその帰属はわからず、戦国時代になると塩田庄は赤松有馬氏の所領に変わっています。
 一方、塩生庄のほうは、建武二年(1335)に後醍醐天皇(1288~1339)から摂津四天王寺へ寄進されたという記録が残ります。ところが江戸時代には、尻地→生塩野→塩生野→生野といいように地名が変化してきているというのです。




「尻地」がなぜ「生野」に変化があったのか、現代人には想像つきかねますが、「生野は有馬郡における武庫川の最下流域で、春木郷の終わる所にあたる」ので、その所在地の地形をあらわす地名として「尻地」としたといった説があります。尻地では目出度い気がしないというので生野に変わったのかもしれませんが、これでは説明が不十分です。
 地名に塩がつく土地は、塩谷・塩川・塩原・塩山・塩野といったように全国いたるところにあります。たとえば姫路の塩田温泉の泉質はナトリウムが70%も占めているように、地下水にナトリウムイオン(塩分)が多いことに関係しているのかもしれません。
 恐竜がまだ生息していた太古の昔、この辺一帯は大きな湖だったそうです。そして千数百年前に日本列島は大陸から離れていきました。そのころの日本海と瀬戸内海はつながっていたことが「神戸層群」という地層の化石などからわかっています。とにかく気の遠くなる時間をへて陸地が形成され、日本海と瀬戸内海は別れたのです。こうした地球のダイナミズムにより、内陸に塩分質の多い地下水脈もつくられたのでしょう。タオルを赤く染めてしまう有馬温泉の泉質が、鉄分・ナトリウムを多く含んだ「含鉄ナトリウム塩化物強塩高温泉」というのもうなずけます。
 生野のすぐ隣は三田です。三田の地名の由来は、福徳を生ずる三種の田を意味する「三福田」(敬田・恩田・悲田)という仏教の考えからきているといわれます。三田米は美味しいお米としてよく知られていますが、低い山に囲まれたこの生野もまた田園風景の美しい米処です。