JR三田駅から一番近い、神戸市北区の霊園、バラの花咲く公園墓地。西宮・宝塚・尼崎・伊丹から便利。

JR道場駅のすぐ北側にある太福寺は・・


JR道場駅のすぐ北側にある太福寺は、太子堂としても親しまれているように、聖徳太子のご請願によって創建されたお寺です。本堂の太子堂の本尊は十一面観世音菩薩立像で太子の自作と伝えられています。その後、弘法大師が、六寺十二坊の総本坊だった太福寺を金胎不二の根本道場として「三鈷山」の山号を名付け、僧侶や修験者の修行道場としています。「道場小唄」にも歌われる観光名所と知られる鎌倉峡、百丈岩、百閒滝、不動岩などなどは、当時の山岳修行道場として格好の地だったのでしょう。 文政十一年(1828)の出火により創建当時の建物は焼失しましたが、やがて太子堂や庫裡などが再建され今日に至っています。


太福寺の北側にあたる獨鈷山・鏑射寺

鏑射寺本堂 太福寺の北側にあたる獨鈷山・鏑射寺も、聖徳太子と弘法大師ゆかりのお寺としてよく知られています。獨鈷山は、神体山として数千年の歴史があり、寺が建立された後はやはり修業道場として発展していきました。が、明治になって吹き荒れた廃仏毀釈運動により鏑射寺も襲撃目標とされ、その後は荒れるにまかせていました。今日のように立派な本堂や三重塔などが建立されたのは昭和40年代に入ってからのことです。
   

五鈷山・光明寺

五鈷山光明寺山門
この獨鈷山から武庫川をこえて西北方向にあるのが光明寺です。
光明寺もまた、聖徳太子によって創建されたお寺で、山号の「五鈷山」は太子の命名と伝えられています。その後、太福寺や鏑射寺と同様に真言宗の道場として栄えましたが、やがて荒廃してしまいます。そして文化七年(1810年)、仏道禅師によって再興されたときに曹洞宗に転じています。
 仏道禅師が再興した後、大本山永平寺の直末寺となり、寺勢はさかんになりますが、第十一世の住職・大賢達道和尚が昭和30年に示寂したのち無住となり、荒れるにまかせていました。昭和40年代まで現存していた本堂もとうとう朽ち果ててしまったのです。
 復興・再建が始まるのは平成に入ってからでした。平成十年、第十二世・大光素哲大和尚が住職となられてのち、墓地公園としての整備が始まりました。日笠忠一(光明寺総代・光明寺復興実行委員長)の発願により、朽ち果てていた開山堂を再建したのは、墓地公園の第一期が完成した平成8年4月のことです。


●参考資料 『道場町誌』(道場町連合自治会発行)